保守主義・伝統主義
保守主義というか伝統主義についてきちんと学びたいな、と思いつつ、魂が怠惰wなのでほったらかしになっています。たぶん先人が同じようなことを(より詳細により賢く)考えているだろうけど、とりあえず日ごろ考えていたことをメモ。
ある共同体がいくつかの伝統を継承しており、これらの伝統は、以下の4つに分類できるものとする。
- 有益
- やや有益(他にもっと有益なやり方がある)
- やや有害(共同体にとって致命的なほどではない)
- 有害(共同体にとって致命的なほどに)
また、共同体の性質として以下を仮定する。
- 共同体は基本的に伝統を継承する
- 共同体は、ある伝統が有害である/もっと有益な方法があると見直したときは、その伝統を廃止/変更する
- この見直しは毎年ある確率pで行われる(共同体の革新性向)
- この見直しが正しい確率はqである(共同体の知性)
- 致命的に有害な伝統が一定期間続くと、共同体は崩壊する
- 伝統の改廃は記録される(歴史の記録)
ま、そうとう大ざっぱですが。とくに「個々の伝統の益害は時代によって変わるんじゃねーの」というあたりが面倒なので抜けてます。
で、この共同体がある程度の長期にわたって持続しているとすると、
- どんな共同体でも致命的に有害な伝統は廃止されているはず(さもなくば共同体が崩壊していたはず)
- ただし、比較的新しくできた伝統は致命的に有害である可能性はありうる(まだ共同体を崩壊させるほどに長く続いていないため)
- 保守的な共同体(pが低い)の場合、やや有害な伝統でも維持され続ける可能性がある(qの高さにもよるが)
- 革新的な共同体(pが高い)の場合、やや有益~有益な伝統まで廃止/変更されている、あるいはこの先廃止/変更される可能性が高い(これもqの高さによるが)
- 歴史の長い共同体ほど、有害な伝統について過去にダメ出しされている可能性が高い
初期または現状の条件とp・qの組み合わせで色々バリエーションはありそうですが。q(知性)が低くかつ現状が十分良いのならp(革新性向)は低い方が無難…とか。
まぁ、長々書いて何が言いたかったかというと、
- 長い期間継承されてきた伝統には致命的な害が無いことは確実だが、かならずしも有益とは限らない(やや有害かも、あるいはより有益なやり方があるかも)
- 比較的新しい伝統は、致命的に有害であっても歴史の審判を受けるには期間が短すぎて残ってしまっている可能性もある
- "伝統が有益である"というのは先祖が伝統をブラッシュアップし続けてきたことが前提なのだから、伝統の変更を許容しない保守主義は自己矛盾ではないか
- 人間の知性をどの程度信頼するかが保革の対立点の一つ(衆愚論と啓蒙思想とか)
という、当たり前のことなんですが。