自由の敵に自由を与えるな

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狼少年の寓意

イソップ寓話集の有名な話に狼少年の寓話がありまして、その内容および寓意はみなさんご存じのとおりですが。

この話、じつはもう一つの寓意があるのでは、と思うようになりました。すなわち、「根拠のないでたらめでも、ずっと言いつづけていればそのうちたまたま現実となることもある」、と。

たとえば地震予知地震の多い地域で「数ヶ月以内に震度3程度の地震が起こる」なんて予測を根拠なくでたらめに唱えたとしても、かなりの確率で的中しそうですね。さらに期間や規模をあいまいにして「数年以内に中規模以上の~」などとすれば、もう十中八九は当たる素晴らしい予測となりそうです。たとえ大した根拠もなく唱えたとしても。

つまり、その予測が本当に正しいものだったか判断するためには、単に現実と符合したというだけでなく、予測の精度*1、その事象の確率的起きやすさ、予測にいたる推論の合理性、これまで出した予測の的中率、などが本来なら検証されなければならないはずです。

そういう検証なしに結果だけを見て「予測が現実となった、彼/彼女の理論は正しかった」なんて早合点してしまうと、あっさりとトンデモや陰謀論に取り込まれてしまいます。

最近気になるのは「私はこうなることを○年も前から予測し警告していた」系の社会批評です*2。政治評論家やエコノミストに多い気がします。これも、中には本当に合理的な推論により何年も先の未来を的中させた例もあるかと思いますが、実際は「あいまいな予言を飽きずに何年間もずっと言いつづけていたら、最近になってたまたま現状にあてはまった」という例が相当数ある気がします。そして、たまたま当たったという結果によって、彼/彼女の他の持論まで検証もなく正当化されてしまったり。

*1:5W1Hがあいまいではないか、具体性に乏しくないか、など

*2:「私は人一倍敏感なので早くから異変に気づいたが、一般大衆はまるで鈍感で、ゆっくりと煮られるゆで蛙のように未だに気づいていない」なんて衆愚論とセットになりがち